たしかに熊だが

小説 『たしかに熊だが』 刊行記念 Interview

"熊彫小説" ではあるけれど。

舞台は大正時代末期から昭和初期にかけての北海道八雲町。
八雲の木彫り熊はどのように生まれ、 いかにして独自の成長を遂げたのか。 "熊の殿様" と農民たちとの笑いあり涙ありの奮闘の日々を描いた小説 『たしかに熊だが』 が発売となりました。
発行元は 『熊彫図鑑』 を手掛けたプレコグ・スタヂオ。 本書が小説第一作目となる著者のいなもあきこさん、 そしてプレコグ・スタヂオ主宰の安藤夏樹さんにも同席いただき、 本書を書くに至った経緯や取材時のエピソード等について話を伺いました。

写真:柳川暁子 (CLASKA)、 野口祐一 / 文・編集:落合真林子 (CLASKA)



Profile
いなもあきこ Akiko Inamo


香川県生まれ。 慶応義塾大学大学院経済学研究科修了。 専攻は日本経済史。 出版社で雑誌編集を経て独立。 以来、 フリーランスのライターとして執筆を続ける。 『たしかに熊だが』 が、 小説第一作目となる。
Instagram@akikoinamo

Profile
安藤夏樹 Natsuki Ando


編集者。 「東京903会」 代表。 日経ホーム出版社、 日経BPを経て、 2016年 「プレコグ・スタヂオ」 を設立。 時計を中心とした記事を編集・執筆しながら、 『熊彫図鑑』 をはじめとした書籍の企画・制作・発行を行っている。 東京903会としては、 2019年より 「GALLERY CLASKA」 で木彫り熊の企画展を開催。
Instagram@tokyo903@a.natsuking@precog_watch


八雲の "人" に魅了されて

──まずは小説 『たしかに熊だが』 を執筆するに至った経緯についてお聞かせください。 プレコグ・スタヂオが発行する木彫り熊関連の書籍としては、 『熊彫図鑑』 『木霊の再生』 に続く 3 作目となります。 いなもさんは 『熊彫図鑑』 の共著者であり、 作家の方々のご家族へのインタビュー記事の執筆を担当されていましたが、 当時から何かしら構想があったのでしょうか?

いなもあきこさん (以下、 敬称略):
『熊彫図鑑』 の取材を北海道八雲町でスタートしたのは 2016 年でしたが、 私自身、 当時は木彫り熊についての知識がほとんどありませんでした。 関係者の方々に話を聞く中で、 「八雲の木彫り熊は、 尾張徳川家の第 19 代当主・徳川義親がスイスから持ち帰った木彫り熊がきっかけになって誕生した」 という史実を知り、 これは面白いぞと思ったんです。 私、 歴史が好きなので。

──きっかけは "人" だったのですね。

いなも:

そうですね。 義親さんってどんな人だったんだろう? と調べ出したら想像していた以上に魅力的な人だったのですが、 一般的にはその人物像があまり知られていないようでした。 「だったら、 義親さんの伝記小説を書いたらいいのではないか?」 と考えたことが、 『たしかに熊だが』 を書くに至った最初のきっかけだったように思います。

──なるほど。

いなも:

とはいえ、 せっかくなら八雲の木彫り熊とも絡めたいという思いもあったので関連資料を色々調べてみたら、 八雲の木彫り熊周辺の人たちの動きもなかなか面白くて……。 "これはいけるかもしれない" と思いました。

東京903会

いなもあきこさんと安藤夏樹さん。

──八雲町は明治初期に 「士族授産」 の地として開拓され、 廃藩置県後に職を失った旧武士 (士族) たちの生活対策として明治政府が入植を進めた場所の中の一つです。 尾張藩ゆかりの士族たちが集団で入植し、 尾張徳川家は彼らの生活を支えるべく 「徳川農場」 をはじめとした雇用・生活支援を行ったそうですね。

いなも:
尾張徳川家による八雲への士族移住がはじまったのが 1878年 (明治11年)。 義親さんが八雲を訪れるようになったのは、 そこから 45 年後のことです。

──物語は、 スイスから木彫り熊を持ち帰った徳川義親が 「八雲で "農民美術" を発展させよう」 という構想を抱くところからはじまりますが、 史実を元にしたフィクションということで八雲の木彫り熊周辺の重要人物たちが実名で多数登場します。 その中でも、 『熊彫図鑑』 を読んだことがある方にとってはおなじみの作家と言える柴崎重行さんと根本勲さん、 このふたりの視点で見た八雲の木彫り熊の発展が物語の軸になっていますね。 柴崎さんに関しては主役とも言える存在感です。

いなも:
柴崎さんについては作品が魅力的だということはもちろんですが、 八雲の木彫り熊文化発展の中心となった団体 「八雲農民美術研究会」 に初期から関わっているにも関わらず、 途中から根本さんと共に離れていくという変わった動きをしていたこと、 そして文化的教養の高さや芸術というものへの思いの強さなど、 どこか私の中で引っかかるものがあったんです。 大正時代末期の八雲にこういう人がいた、 そんなことも書きたいと思いました。


八雲だからこその青春群像劇

──徳川義親がスイスで購入した木彫り熊を八雲町に送付し、 農民たちに農民美術のアイデアを伝えたのが大正末期の 1923年 (大正12年)。 それから 10 年も経たないうちに八雲の木彫り熊は全国的にその名を知られることになります。 物語の中では木彫り熊の発展に関わった八雲の若者たちの濃密な日々と葛藤の様子が綴られていますが、 読み終わった今改めて驚いているのは、 後に作家として名を上げていく人達も最初は全くの素人だったということ。 皆さんのポテンシャルの高さに驚きました。

いなも:
変な意味ではなく、 八雲ってちょっと変わった街なんですよ。 暮らしている人たちの文化度が異様に高い。 はじめて八雲を訪れた時、 ふたりで驚きましたから。

安藤夏樹さん(以下、敬称略):
八雲町を訪れる前までは東京と地方では圧倒的な文化的格差があるのだろうという印象を持っていたんですけど実はそんなことは全然なくて、 小さな町には小さな町なりのリテラシーと文化レベルがあるんだ、 ということを実感させられました。 地元の方たちとコミュニケーションをとると、 皆さん 「おお、 なるほど!」 と思わせることをお話になるんです。

──かつて八雲町に入植した士族たちをサポートした尾張徳川家は、 彼らが士族としての教養や規律を保つことも重視したとか。

いなも:
そもそも農民とは異なる教育を受けていた人たちが多く暮らしていた町であるということ、 そして明治時代から続く尾張徳川家への忠誠心や家意識の積み重ねが、 今現在の八雲の文化度の高さに繋がっているのかもしれません。 みなさん町の政治に対しても関心が高いんですよ。 「自分たちの町のことは自分たちで解決する」 という意識が強い印象を受けました。

──徳川義親が 「農民美術を八雲で」 という声かけをしたことは、 当時の町の人にとってはだいぶ唐突な話だったと思うんです。 でも、 そこに多くの若者が食らいついて切磋琢磨し、 八雲独自の木彫り熊文化を構築していった背景には徳川家への忠誠心というものが大きかったのでしょうね。

安藤:
木彫り熊に関わった人すべてが徳川家の元家臣だったわけではありませんが、 義親さんはついこの前まで日本という国を治めていた人の末裔ですからね。 私たちが想像する以上に 「徳川さんが言うなら」 という感覚はあったと思います。 八雲町には今でも尾張徳川家に仕えた人たちの子孫で構成された 「和合会」 という団体が残っているくらいですから。

──『熊彫図鑑』 の中で八雲を代表する 8 人の熊彫作家 (通称:八雲エイト) として紹介された人たちをはじめ、 物語の中に登場する一人ひとりのキャラクターがとても魅力的です。 どの人物にもそれぞれ思い入れがあると思うのですが、 いなもさんが特に魅力を感じた人はいますか?

いなも:
義親さんは当然として……作家の中では根本勲さんですね。 『熊彫図鑑』 をつくる際に根本さんの奥さまにインタビューをさせていただいたのですが、 奥さまは根本さんのことがとにかく大好きで 「かわいい人だった」 という言葉と共に色々なエピソードを聞かせてくださいました。 奥さまの目線を通した根本さんはかわいらしい人だったということなので、 それを反映した人物像になっています。

安藤:
根本さんの彫る熊はどちらかというとシャープな印象で、 かわいらしさはないんですけどね (笑)。 根本さんの作風を知っている人は 「あ、 こういうキャラクターで描かれるんだ」 と驚くかもしれません。


歴史小説を書く楽しさ

──あまり具体的な内容を書くとネタバレになってしまうので控えますが、 物語の後半で柴崎重行さんと根本勲さんがふたりで北海道を旅するシーンがとても美しく、 印象に残りました。 この場面は実際にふたりが一緒に旅をしたという記録に基づいて、 創作したそうですね。 この場面のみならず、 史実や記録にご自身なりの肉付けをしながら物語をまとめていったと思うのですが、 相当大変な作業だったのではないでしょうか。

いなも:
約 7 年かかりましたからね (笑)。 史実や記録は常に点でしか存在しません。 柴崎さんと根本さんが北海道を旅するシーンを書くにあたっては、 「実際にふたりが歩いた」 と記録が残る地点まで足を運びそこから想像でルートを繋ぎながら 「こういう景色を見たんだろうな」 ということを体感してみたりしました。 旅の途中にふたりがどんな会話をしたかも記録が残っていないのでわかりませんが 「もしかしたらこんなことを話したかもしれないな」 と、 その地に立つことで想像力が掻き立てられました。


たしかに熊だが

安藤:
そこに行くことで何か具体的な情報を得られるわけではないですし、 想像だけで書くことも出来たと思うのですが、 出来る範囲で忠実に近づきたいという気持ちがあったのかな。 「え、 そんなところに行くの?」 という場所にも足を運びましたね。

いなも:
資料一つ読むにしても、 古い言葉で書かれていたりするので大変ではありましたけど、 すごく楽しかったです。 自分は歴史が好きだなぁと、 改めて実感しました。

──誤解を恐れずに言うと、 あの時代の北海道、 しかも結構な山奥の田舎町に根本さんや柴崎さんのような文化的感度が高く美術に造詣の深い若者が存在していた、 ということにも驚きました。

安藤:
そうですよね。 東京では 1910 年創刊の同人雑誌 『白樺』 をきっかけに 「白樺派 (明治末期から大正期を中心に活動した文学・芸術運動)」 が出現して、 知識層がゴッホやムンクを知ることになったわけですが、 その流れが北海道の八雲まで想像以上に短期間でたどり着いていたということに驚きました。 そしてそこに影響を受けた若者たちが木彫り熊をつくるという……。 文化的に重要なことって、 興味がある人がいればちゃんと伝わっていくんですよね。


木彫り熊を通して、 日本社会を見る

──物語は 「八雲の木彫り熊の発展」 が一つの大きな柱になっていますが、 大正から昭和にかけての日本社会のうねりを描いた歴史小説としても楽しむことが出来ました。

安藤:
人と社会の両方が主役の小説ですよね。 木彫り熊の発展を通して、 当時の社会と人を見る感覚というか。 一読者としては、 この小説の中で描かれている時代の日本の課題は今の日本社会が抱えている課題に似ているなという印象を持ちました。 ここ最近戦争について考えたり語ったりする場面が増えていると感じている人は多いと思うのですが、 大正末期から昭和にかけても同じようなことが起こっていたんだなと。 そういう視点で読んでも色々感じるものがありましたし 「今の社会、 大丈夫かな?」 と感じている方々にも是非読んで欲しいなと思います。


たしかに熊だが

──徳川義親という人物については、 八雲の人たちとの関わりを描いた場面では木彫り熊文化を根付かせた功労者としての一面が描かれつつ、 時代が目まぐるしく変化していく中での華族としての生き様についても実に魅力的に描かれていました。 恥ずかしながら 『たしかに熊だが』 を読むまで徳川義親についての知識がほとんど無かったのですが、 こんなに面白い人がいたんだなぁと。 とても嬉しい発見でした。

いなも:
本当に魅力的な人ですよね。 私は義親さんのことが好きになり過ぎて、 夢にまで出てきましたから (笑)。

安藤:
時代に埋もれてしまっている人やもの・ことって沢山存在すると思っているのですが、 八雲の木彫り熊がまさにそうでした。 かつては一世を風靡して誰もが知る存在でしたが、 僕たちが八雲をはじめて訪れた 2016 年の時点では "このままだと時代と共に忘れられてしまうのでは" という状況だったんです。 徳川家の歴史として 「徳川義親が八雲で木彫り熊づくりを奨励した」 という史実は残るけれど、 沢山の優れた作家たちがいたという事実はこのままだと歴史的に無かったことになってしまう。 "何とかして残したい" という思いがきっかけになって、 『熊彫図鑑』 をつくったという経緯があります。


たしかに熊だが

2019 年に発行された 『熊彫図鑑』。 (写真は第二版)


いなも:
時代からはじかれてしまったけど実はとてつもなく凄いことをしたとか、 今の視点で見てもこの人の考え方って面白いよね、 とか……。 そういう人にスポットを当てたいという気持ちはありますね。 今回の小説も 『熊彫図鑑』 をつくろうと決めた時の感覚に近いものがあると思います。

──『たしかに熊だが』 を読んだ人は物語の中に登場する作家たちが彫った熊を見てみたいと感じるはずです。 その時に、 いわば資料集的な感じでも楽しむことができる 『熊彫図鑑』 が既にこの世に存在しているのは、 とても嬉しいだろうなぁと思いました。

安藤:
『熊彫図鑑』 をつくっている時点で僕らとしては既に 「人」 に関心があったのですが、 まずは 「もの」 を知ってもらわないと伝わらないから、 結果として図鑑という形になりました。 でも結果的に、 図鑑のあとに小説という順番で良かったと思います。 『熊彫図鑑』 を出したことで、 木彫り熊にも様々なタイプの作風があって沢山の作家たちがいた、 ということを知ってもらえましたから。 「北海道の木彫り熊って、 鮭を咥えたやつでしょ?」 という人しかいなかったら、 この小説は成立しないと思いますし。

いなも:
そうですね。 ものすごく時間はかかったけど、 これでよかったなと思います。

たしかに熊だが

たしかに熊だが』 3,960円 (税込) 著者:いなもあきこ 表紙絵:坂巻弓華 発行:プレコグ・スタヂオ


ゆく熊くる熊 Final

──CLASKA のギャラリーで 2019 年から定期的におこなってきた 「ゆく熊くる熊」 が今年も 12 月 24 日からスタートしますが、 今回でフィナーレを迎えることになりました。 会場には小説 『たしかに熊だが』 も並びますが、 今回の展示のテーマはどのような内容になりますか?

安藤:
小説が八雲の木彫り熊の "はじまりの話" であることに対して、 展示は 「多様性」 をテーマにしたいと考えています。 八雲の熊だけではなく、 アイヌの熊、 スウェーデンの熊、 フィンランドの熊、 スイス、 アメリカ、 タイ。 それから、 いつどこの誰がつくったかわからない熊。 スイスから八雲に伝わった一つの源流がありつつ、 それとは異なる源流も沢山あります。 そんな多種多様な木彫り熊を一同に並べるような展示にできたらいいなと。 多様性が失われつつある現代社会を意識したテーマ設定だったりもします。

──この木彫り熊はいつ、 どこの誰がつくったのかという情報を踏まえて作品を鑑賞する楽しみもありますが、 今回は 「この熊いいね、 いい顔してるね」 といった声が聞こえてくるような、 朗らかな展示空間になりそうですね。 楽しみにしています。


Information
企画展 「ゆく熊くる熊 Final by 東京 903 会」


会期:<前半> 2025 年 12 月 24 日 (水)〜 28日 (日) / <後半>:2026 年 1 月 7 日 (水)〜 12日 (月・祝)
営業時間:水曜〜日曜 12:00〜17:00
※年末年始休業期間 2025 年 12 月 29 日 (月)〜 2026 年 1 月 6 日 (火)
会場:GALLERY CLASKA (住所:東京都港区南青山2-24-15 青山タワービル9階)
●東京メトロ銀座線 「外苑前」 駅 b1出口より徒歩1分

いなもあきこ著 『たしかに熊だが』 刊行記念 トークイベント & サイン会 開催!
会期前半の 12 月 27 日(土)14時より、 いなもあきこさんのトークイベント&サイン会を開催いたします。 参加費無料・予約不要でどなたでもご観覧いただけますが、 座席には限りがございますので、 席が埋まっている場合は立ち見でのご観覧をお願いいたします。 当日の状況により、 入場を制限させていただく場合がございます。 トークイベントは1時間程度を予定。 その後サイン会を行います。

現代作家 高野夕輝さんと高旗将雄さんの作品販売について
販売日程や販売方法につきましては、GALLERY CLASKA のインスタグラムにて告知をさせていただきます。