渡邊かをる

ティーカップ ・ カップ&ソーサー 「Kaoru」 発売記念鼎談

"かをるさん" について語ろう。

アートディレクターとして、 広告の世界を中心に数多くの優れた仕事を遺した渡邊かをるさん。
活躍の場は広告の世界にとどまらず、 衣食住あらゆる分野への造詣の深さから多くの人たちに影響を与えました。
「東屋 (あづまや)」 代表の熊田剛祐さん、 デザイナーの猿山修さん、 そして 「CLASKA」 ディレクターの大熊健郎もその一人です。
渡邊かをるさんが亡くなってから、 今年で10年。 新商品 「Kaoru」 シリーズの発売を機に、 改めて 「渡邊かをる」 という人物像に迫る鼎談企画を前編・後編にわけてお届けします。

写真:馬場わかな 文・編集:落合真林子 (CLASKA) 


CONTENTS

前編/ "かをるさん" の思い出

後編/ 豪快さと、 ユーモアと、 かわいらしさと


Profile
渡邊かをる Kaoru Watanabe


1943年東京生まれ。 日本大学芸術学部卒業後、 「ヴァンヂャケット」 に入社。 宣伝部意匠室長としてアートディレクターを務める。 1978年に同社退社後、 1981年に 「渡邊かをるインク」 を設立、 キリンラガービールのラベルをデザインするなど広告のアートディレクターとして活躍する一方、 陶磁器、 美術全般への造詣の深さから生活用品のデザインやバー ( 鎌倉の 「THE BANK」 ) 等のプロデュースも手掛けた。 2015年、 72歳で逝去。

渡邊かをるさん。 (東屋の公式インスタグラムより引用)


前編/
"かをるさん" の思い出

大熊健郎:
この度、 東屋と CLASKA の協働というかたちで渡邊かをるさんがデザインしたティーポットとティーカップ & ソーサーを復刻し、 「Kaoru」 という名で発売する運びとなりました。 製作を進める中で久しぶりに熊田さんとかをるさんの思い出話を色々したのですが、 おそらく多くの人は 「渡邊かをる」 という人を知らないだろうなということを、 改めて思ったんです。

熊田剛祐さん (以下、敬称略):
そうだと思いますね。

大熊:
かをるさんはどんな人で、 自分たちに何を教えてくれて、 何を遺してくれたのか。 今回の新商品発売を機に多くの方にお伝えする場を設けられたらと思いまして、 かをるさんと深い親交があった熊田剛祐さんと猿山修さんにお集まりいただきました。 本日はどうぞよろしくお願いします。

猿山修さん (以下、敬称略):
こちらこそよろしくお願いします。

東屋とCLASKAの協働で製作した、 渡邊かをるさんデザインの新商品 「Teapot Kaoru」 と 「Cup & Saucer Kaoru」 Photo:Yuichi Noguchi


かをるさんが繋いでくれた縁

大熊:
まずは3人それぞれの、 かをるさんとの出会いについて。 僭越ながらまずは僕からお話させていただくと……。 もともと僕は 「イデー」 という家具の会社に勤めていたのですが、 創業者の黒崎輝男さんがかをるさんと旧知の仲だったこともあり、 会社立ち上げ当初から 「デザイン顧問」 のようなポジションでロゴやグラフィック周りの仕事の多くをかをるさんが担当してくださっていたんです。 当時僕は製品カタログをつくるチームにいて、 かをるさんのアシスタント的な役割を務めさせていただきました。

大熊健郎 (おおくま・たけお) / 大学卒業後、 イデー、 全日空機内誌 『翼の王国』 の編集者勤務を経て、 2007年に CLASKA のリニューアルを手掛ける。 同時にライフスタイルショップ 「CLASKA Gallery & Shop "DO" 」 をプロデュース。 CLASKA のディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。

猿山:
イデーのカタログは、 当時西荻窪にあった僕の自宅でも撮影しましたよね。

大熊:
そうそう。 僕が猿山さんに最初にお会いしたのは、 その撮影の時でした。 ロケ場所をどこにするかという時に、 かをるさんが 「最近俺が可愛がってる面白いやつがいて、 そいつの家がすごく良いんだよ」 とおっしゃって、 それが猿山さんのことだったんです。 暮らしぶりがものすごく素敵で 「同世代でこんな人いるんだ……!」 と、 衝撃を受けた記憶が (笑)。 猿山さんは "店主とお客さん" という関係性から付き合いがスタートしたそうですが、 かをるさんはある日突然ふらっと猿山さんの店にいらしたんですか?

渡邊かをるさんがアートディレクションを担当した 「イデー」 の製品カタログ。 Vol.2 の表紙の写真は渡邊かをるさんの自宅で撮影された。

猿山:
はい。 最初にいらした時の印象が結構強烈で。 店内をひと通り見渡した後、 商品として置いていたイギリスの古いウインザーチェアに座って突然葉巻を吸い出したんです。 「なんだ、 この人は」 と。

熊田:
ははは (笑)。

猿山:
とりあえずお茶をお出しして、 色々と話をして、 途中からお茶がお酒になって。 かをるさんが興味を持った棚について説明をしたら 「これ、 買うから家まで運んでくれる?」 と。 そこに至るまで、 2〜3時間くらい店にいたんじゃないかな。

猿山修 (さるやま・おさむ) / デザイナー。 「ギュメレイアウトスタジオ」 主宰。 1994年より古陶磁やテーブルウェアを扱う 「さる山」 を営み、 2019年に閉店。 現在はグラフィック、 空間、 プロダクトまで幅広いジャンルのデザインを手掛けると同時に、 演劇音楽の作曲や演奏にも携わる。 「東屋」 の製品デザインも数多く手掛けている。

熊田:
それでその後、 かをるさんのご自宅へ。

猿山:
そう。 後日棚を自宅にお持ちしたら招き入れてくださって、 かをるさんがつくったコース料理をご馳走になりました。 その日はバイトの子を2人連れていったんですけど 「おお3人か! みんな入れ」 と。 料理が盛られたうつわはほとんど魯山人のもので、 驚いた記憶があります。

大熊:
どういう仕事をしている方か、 最初から知っていたんですか?

猿山
全然知りませんでした。 食事をしながら話をしているうちに 「ああ、 デザイナーさんなんだな」 と。 その後、 時々僕の店に来てくれるようになって 「今、 こういう仕事をしているんだよ」 などと会話を重ねるうちに、 少しずつ知っていった感じですね。

「このグラスとシェリー酒を片手に僕の店にやってきて、 一緒にお酒を飲んだ後に 『これ、 置いておいて』 と。 今もそのまま我が家にあります」 (猿山さん)。 写真右は、 かをるさんから譲り受けたというパイプ。 今も猿山さんが日頃愛用している。

大熊:
かをるさんはアートディレクターとして広告の世界で活躍すると同時に、 生活用品のデザインやプロデュースも手掛けました。 熊田さんが代表を務める東屋は、 CLASKA でもロングセラーとなっている 「銅之薬缶」 を筆頭に現在も渡邊かをるデザインの製品を唯一つくり続けてらっしゃいますが、 そもそもどのようなきっかけで付き合いがはじまったのでしょうか。

渡邊かをるさんがデザインした東屋の製品 「銅之薬缶」 Photo:Koji Honda

熊田:
かつて、 かをるさんが手掛けていた 「陶屋 (とうや)」 という食器のブランドがありましたよね。 僕は個人的に陶屋の製品がすごく好きだったんですけど、 ある時ブランドを終了するという話を聞いて 「だったら、 東屋で引き継ごう」 と思ったんです。 僕はかをるさんとは面識が無かったのですが、 イデーの黒崎さんと知り合いだったので 「渡邊かをるさんを紹介してください」 とお願いしたんです。

渡邊かをるさんが手掛けていた陶屋の製品。 (大熊私物)

大熊:
なるほど、 黒崎さん経由だったんですね。

熊田:
かをるさんが伊賀の職人と一緒につくっていた陶屋の角灰皿があるのですが、 雄勝の職人に相談して、 その角灰皿を硯石を使って完璧にうつしたものを用意して会いにいきました。 「こういうことを一緒にやりたいんです」 とお伝えしたら 「よし、 やろうぜ」 という話になって、 そこがはじまりですね。

大熊:
陶屋時代にデザインしたものを引き継ぎつつ、 そこに東屋のためにデザインしたものが新たに加わって東屋の "渡邊かをるデザイン" の製品が増えていったわけですね。

猿山
その当時、 僕はまだ熊田さんと会ったことがなかったのですが、 かをるさんから話は色々と聞いていました。 「猿ちゃんも何か一緒にやったらいいのに」 と、 かをるさんが熊田さんと繋いでくださって東屋と仕事をするようになったんです。

熊田:
どこの馬の骨かも分からない僕としばらく仕事をしてみて、 「こいつなら紹介してもいいな」 と思ってくれたのかもしれませんね。

<写真右> 熊田剛祐 (くまた・たけひろ) / 「東屋」 代表。 海外生活を経て、 1997年に東屋を創業。 生活のさまざまな場面に寄り添う日用品を日本全国の職人と組んで製作。 渡邊かをるデザインの製品を日本で唯一つくり続けている。

大熊:
良い話だなぁ。 うつわ関係に関しては東屋が今も継続して世に出し続けていますけど、 個人的には、 かをるさんにもっと色々なジャンルのものをデザインして欲しかったし、 それを見たかったな……と、 つくづく思います。

熊田:
本業は、 あくまでアートディレクターでしたからね。

大熊:
久しぶりに、 昔の雑誌に載っていた 「渡邊かをるカバン物語」 というインタビュー記事を読み返してみたんです。 そうしたら 「今、 オリジナルのカバンをデザインしてる。 イタリアでサンプルをつくってるところなんだ」 って書いてあるんですよ。 きっとそのカバンが世に出ることは無かったのだと思うのですが、 あれだけ "もの" にこだわっていた人だから……。 もっと色々つくって欲しかったですね。

 

後編へつづく

 



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