TOKYO AND ME

東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。

写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)


Vol.68 広瀬一郎 (キュレーター) 

 

PLACE : 西麻布 (港区)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sounds of Tokyo 68. ( Rainy Season in Nishi-Azabu )


1948年、 東京生まれです。
地元は杉並で、 現在の駅でいうと 「方南町」 辺り。 江戸時代以来の下町文化が色濃く残る上野や浅草とは対照的に、 杉並や世田谷など東京の西側はもともと田んぼと畑しかないと言ってもいいような場所でしたから、 東京の東側出身の人と話すと子ども時代の体験が随分違うなと感じます。
幼い頃の記憶として残っているのは、 とにかく空が広くて青かったということ。 空襲で焼かれた後そのままになっている原っぱが結構残っていて、 学校が終わったらそこで遊ぶのが日常でした。

いわゆる 「ベビーブーマー」 とか 「団塊」 と呼ばれる世代ですが、 高度経済成長期のはじまりから 80 年代のバブル期まで "戦後の消費文化にまみれて大人になった世代" とも言えますね。
新しいものを発見して買う喜びや楽しさを知りつつも、 ひたすら物を消費し続けることに対する疑問のようなものも同時に抱えて生きていました。 そのことが後に 「桃居 (とうきょ)」 という工芸ギャラリーをはじめることへ繋がっていきます。

大学卒業後は出版社で編集の仕事に就きましたが長続きせず、 その後は神田で珈琲店を開き、 30代半ばの 1982 年に青山で 「K’s bar」 というバーをはじめました。
当時は "大学を出たら大企業や官公庁に" という時代でしたが、 それは違うんじゃないかと。 いわゆるドロップアウト組ですね。 景気が良かったこともありバーは繁盛しましたが、 活気にあふれた東京を楽しみながらも世の中が消費社会へ突き進んでいくことへの違和感は増す一方でした。

モヤモヤした気持ちを抱えながら長いモラトリアムを過ごす中で、 ふとしたきっかけから、 それまで触れてこなかった日本の古い焼き物に目を向けるようになりました。
アメリカンカルチャーに大きな影響を受けたこともあり若い頃は現代美術が好きでしたが、 改めて "日本的なもの" を眺めてみたら、 まるで外国のものを見たかのような新鮮さを感じたんですね。 その流れで、 現代陶芸にたどり着きました。

西麻布で桃居を開店したのは 1987 年、 39 歳の時です。
なぜ西麻布だったかというと深い理由はなくて、 K’s bar のある青山から近かったから。 昼間は桃居、 夜は K’s Bar という生活を 10 年程続けましたが、 店同士が近かったからこそ出来たことだと思います。

かれこれ 40 年ほど西麻布で商いを続けてきたものの……最後までどうにも好きになれない街でした (笑) 。 街そのものにバブル時代の腐臭のようなものが、 今もなお拭いきれず残っているように感じてしまうのです。
救いであり癒しだったのが、 外苑前方面に少し歩いていくと青山墓地があったり、 店の窓の外に小さな公園の緑が見えたこと。 ちなみにその公園は、 近所にあるお寺の参道の名残なんじゃないかと、 地元の方に伺ったことがあります。

作家さんと一緒に食事をする時以外は閉店後そのまま帰宅することが多かったので、 僕が知っているのは主に昼の西麻布です。
西麻布の飲食店というと高級寿司店や焼き肉店といったイメージがあるかもしれませんが、 個人経営の魅力的な飲食店もいくつかあって、 よく足を運びました。
「おそばの甲賀」 に 「千利庵」。 それから女性オーナーが一人で切り盛りする 「眞由膳」 という小さな和食屋さん。 「豚組」 というとんかつ屋さんにも時々お邪魔しました。 長い年月の中でお店の方とも仲良くなりましたし、 いい思い出も沢山あります。

西麻布って "陸の孤島" 的なところがあって決してアクセスがいいとは言えない場所なのですが、 最寄り駅は多いんですね。 六本木に表参道、 乃木坂からも来られますし、 渋谷からバスで来るという選択肢も。
通勤は車が多かったのですが、 電車を使う時は外苑前で降りて、 青山墓地の中を突っ切って西麻布まで歩くコースが好きでした。 時間はかかりますけどね。 青山墓地は緑が多くて桜の名所でもありますから、 春は特に素晴らしいんです。

今年の 5 月末で桃居を閉じました。
最後の数年間はデジタルの世界が一気に押し寄せてきた感覚でしたが、 そうなったことで人間の身体性や自然素材だけで成立する極めてローテクなもの……つまり工芸の力を、 改めて実感することになりました。 若いお客さまが増えた実感もありますし、 ある意味自分ができることはやり切った気持ちでいます。
アゲインストの風ではなくフォローの風が吹いている中でお店を閉じられたのは、 人気絶頂の中引退するアイドルみたいで良かったのかなと (笑)。

かれこれ 77 年程を、 東京という街で過ごしてきました。
幼い頃から東京が変化する様子を見続けてきましたが、 東京ほど有為転変を繰り返し、 かつ重層性のある都市は世界広しといえどないのではと感じます。

明治維新による江戸の街並みの大変革。 大正期の関東大震災による明治以前の香りの消滅。 東京大空襲での壊滅的な打撃。 そして、 戦後の東京オリンピックに向けた東京大改造、 バブル期を経た平成以降の再開発ブーム。
よく 「東京は進化し続ける街」 と言われますが、 最近の東京を見ていると、 進化と進歩は必ずしもイコールではないのだと、つくづく感じます。 変わることが必ずしも良いこととは限らないですよね。 東京はもう少し、 変化のスピードや方向性に対して慎重であっていいのではないかと思います。

人が幼児期から少年期へと成長し青年期から壮年期へと成熟していくように、 東京という都市にもきっと "あるべき成熟の姿" というものがあるはずです。 今こそ、 すべての世代が知恵を出し合って東京の成熟について考えるべきだ……などと、 ちょっとエラそうなことを思ったりもしますが、 どうでしょうか。


Profile
広瀬一郎 Ichiro Hirose


1948年東京生まれ。 出版社勤務、 飲食店経営を経て 1987 年より西麻布にて工芸ギャラリー 「桃居」 をスタート。 2026年5月に40年の歴史に幕を閉じる。 2026年7月より、 45Rが手掛ける工芸ギャラリー 「茶馬亭」 のキュレーションを担当。

Instagram@gallery_chabatei_45r

東京と私