TOKYO AND ME

東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。

写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)


Vol.66 薮 太樹 (「BUY BACK」 店主) 

 

PLACE : 新宿三丁目 (新宿区)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sounds of Tokyo 66. ( Shinjuku-sanchome station )


小学校を卒業する数日前、 学校に行くのをやめました。
もともと人というものに対して小さな違和感のようなものを持っていたところに決定的な出来事が起こってしまったことがきっかけで、 そのまま。 中学には 1 度も登校していません。

学校に行かず家にいる自分のことを、 家族はもちろん近所の大人たちも気にかけてくれました。
地元は栃木県の南の方にある小さな町なのですが、 町工場をやっているおじちゃんが 「内職手伝えよ」 と声をかけてくれたり、 近所の農家の人が畑の手伝いをさせてくれたり、 姉の同級生が外に連れ出してくれたり。 すごく有難かったです。

家での時間は、 ラジオと共にありました。
毎日ではありませんでしたが朝の 5 時に寝て 「笑っていいとも ! 」 がはじまる前に起きるという生活で、 夜中はよくオールナイトニッポンを聴いていたんです。 当時のパーソナリティは、 月曜はデーモン小暮さん、 火曜はとんねるず、 水曜はキョンキョンだったかな。
それまでは音楽といえば流行りの歌謡曲を少し聴くくらいでしたが、 ラジオをきっかけに国内外のロックやニューミュージックと呼ばれるものを聴くようになり、 どんどん世界が広がっていきました。 今思えば、 現在の仕事に繋がっていくきっかけはラジオだったように思います。

町工場での内職などをしていただくお金が月に 1 万円程あったので、 それを持って年に数回一人で東京へ出掛けていました。
お目当ては 「後楽園ホール」 で行われていたレコード市。 どこで情報を仕入れたか忘れましたが、 古本屋や中古レコード屋が多いというイメージがあった神保町にも行ったりしましたね。

東京への憧れはもちろんありましたよ。
地元から出たいという気持ちもあり 18 歳頃から東京へアルバイトに出るようになりましたが、 しばらくは学歴コンプレックスに苦しみました。 でもある時、 夜間中学の見学に行った際に対応してくださった先生の一言がきっかけで解放されたんです。
その方に自分の事情を話したら、 「あなたは人の目を見て会話が出来るし、 人の話を聞くことも出来るから大丈夫。 社会でやっていけますよ」 と。 「そうか。 だったら頑張ろう」 って、 素直に思えたんですね。

上京したのは二十歳の時。 先に東京で一人暮らしをしていた姉のところに転がり込んで、 飲食店やコンサートの搬入・搬出のバイトをする生活がはじまりました。 新宿三丁目に通うようになったのもこの年です。

ある日友人と新宿のゴールデン街で飲んだ後、 もう一軒行こうということで二丁目をうろうろしていたら、 店の入り口に自分が大好きなジャクソン・ブラウンの 「Running On Empty」 というレコードを飾っているバーを見つけました。
思わず中に入ってみたものの満席で、 オーナーが隣の三丁目で経営しているという 「Bar MARTHA (現在の 「BAR NICA」 ) 」 を紹介してくれました。
そのオーナーというのが、 後に自分の店を独立開業するまでお世話になった福山渉さんです。

「Bar MARTHA」 は、 現在も新宿と恵比寿で複数のミュージックバーを経営する福山さんが最初に手掛けた 6 坪程の小さな店で、 「こんな店があるんだ」 と強い衝撃を受けました。
店内の棚にはレコードがぎっしり詰まっていて、 スピーカーからかっこいい音楽が流れていて……。 当時、 漠然と "音楽に関わる仕事がしたい" と思っていた自分にとって、 こういう関わり方もあるんだなと気づかされた瞬間でもありました。

その日以降、 度々 「Bar MARTHA」 へ足を運ぶように。 新宿の 「厚生年金会館」 や 「日清パワーステーション」 でバイトをした後にそのまま新宿三丁目に行って飲んで朝に帰る、 というのがいつもの流れでした。
ずっと客として通っていましたが、 店長をしていた方が独立して同じエリアで店をはじめることになり、 スタッフとして働くことに。 4年半ほど新宿三丁目が職場になりましたが、 2005 年に福山さんが恵比寿ではじめた新しい店の店長を務めさせていただくことになり、 新宿を離れました。

福山さんの店で 8 年働いた後独立して、 同じ恵比寿で自分の店 「BUY BUCK (バイ バック)」 をはじめてから 12 年が経ちます。
店の名前は、 アメリカ人の友人と飲んでいる時に決めました。 わからないようでわかる、 わかるようだけどわからない……みたいな言葉がいいんだよねという話をしたら、 「お前のやり方って、 "バイ バック" だよね」 と。
「どういう意味 ?」 と聞いたら、 アメリカの東海岸のごく一部のエリアでしか使われないスラングで、 「飲んだ分だけ返ってくる店」 という意味の誉め言葉なんだそうです。
すごく良いなと思ったのですが、 店自ら "バイ バック" と名乗るのは変じゃないか気になってしまって。 そうしたら、 その友人曰く 「そこまでわかる日本人はいないから大丈夫だよ」 と (笑)。

恵比寿に移ってきて 20 年。 新宿よりも恵比寿歴の方が長くなったのに、 「東京」 という街を思う時最初に頭に浮かぶのはやっぱり新宿三丁目なんです。
人生や社会のこと、 それから人間の有象無象。 本当に色々なことを教えてもらいましたし、 経験もさせてくれた街だからでしょうか。
あの日、 自分の好きなレコードを飾っている店を偶然見つけたこと。 そして何より、 福山さんに出会わなかったら今の自分は無いですから。

お客さんに、 「恵比寿にあるのに、 新宿っぽい店だよね」 って言われるんです。
今でも付き合いのある新宿で働く先輩や後輩には違うと言われるかもしれませんが……店主としてのノリとか、 お客さんとの距離感とか。 それは自分でも自覚があります。
あらゆることを新宿で培ったから、 それ以外のやり方を知らないだけなんですけどね。

いま新宿に戻りたいかって聞かれたら、 そうは思わないです。 やっぱり……アクが強いから (笑)。 でも "いまも新宿を心に" という感覚はありますよね。 間違いなく、 自分にとっての原点ですから。


Profile
薮 太樹 Taiki Yabu


1974年生まれ。 恵比寿の 「BAR TRACK」 にてオープンより8年間店長を務めた後に独立。 2014年、 恵比寿に 「BUY BACK」 をオープン。

東京と私