

TOKYO AND ME
東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。
写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)
Sounds of Tokyo 65. ( Arisugawa-no-miya Memorial Park )
高校卒業後、 はじめての一人暮らしは今思うと半ば家出のようなかたちではじまりました。
とても厳しく保守的な親のもとで育ったので、 "早くここから抜け出したい" という気持ちがずっとあったんです。 高校卒業後に写真について学ぶようになり様々な人と出会う中で、 それまで知らなかった "世の中はどういうものか" ということが見えてきたというか……。 自分のチョイスで生きていきたいという思いが、 よりはっきりと芽生えた末の強行突破でした。
念願の一人暮らしではありましたが、 まだ10代の子どもです。 東京のことをよく知らなかったこともあり、 親が探してくれたのが広尾の小さなマンションでした。
かつて父は広尾に通勤していたので、 雰囲気もわかっているし治安がいいから安心、 ということだったんじゃないかと思います。 「有栖川宮記念公園」 脇の坂を登りきったところにある、 交番近くのマンションで新生活がはじまりました。
昼間は学校で写真の勉強をして、 帰宅したら家の周りを散策しながら写真を撮って、 夜になると家に戻って写真をプリントしたり大好きな料理をしたり……。
当時の移動手段はほとんど自転車で、 撮影をしに晴海や芝浦ふ頭の方まで行ったこともありました。 広尾から1時間くらいだったかな。
フィルムが高かったので、 フィルムの入っていない空のカメラでシャッターを切ったりして。 地図を片手に出かけたものの結局道に迷ってしまい、 広尾に帰ってくるのが真夜中になったこともありました。
写真のプリント作業は、 自己流で暗室に改造した狭いユニットバスルームで。 光が入らないように、 ドアの隙間にタオルをぎゅうぎゅうに詰めたことを思い出します (笑)。
家の周辺で良く出かけたのは、 南麻布の 「F.O.B COOP」、 六本木の 「青山ブックセンター」 や 「六本木 WAVE」 、 それから WAVE の地下にあった映画館 「Cine Vivant (シネ・ヴィヴァン)」。 ミニシアターの草分けですよね。 ジャン=リュック・ゴダールやエリック・ロメールの作品を上映していた記憶があります。 青山ブックセンターは深夜も営業していて、 写真集のコーナーを見るのが大好きでした。
どの店も閉店してしまいましたが、 今考えると家から自転車で行けるエリアにいいお店が揃っていて、 そこで出会ったものや吸収したものがその後の自分に大きな影響を与えたと改めて感じています。 私の原点、 と言っていいかもしれません。
クラシックやジャズ、 そして洋画が好きだった父の影響もあり音楽や映画には元々親しみがありましたが、 一人暮らしをはじめてから自分の視点で出会う作品やアーティストが少しずつ増えていきました。
そうして生活をしていくうちに、 広尾がどんな街か徐々にわかっていくわけですが……。 やっぱり、 色々と "高い" んですよ。 親が仕送りをしてくれてはいたのですが、 10代の一人暮らしにはかなり厳しくて。
最寄りのスーパーは 「ナショナル麻布」。 六本木方面にいくと 「紀ノ國屋」 がありましたが、 お金が無くて豆腐ばかり食べていた記憶があります (笑)。
仕送りだけでは生活が大変だったので、 はじめてのアルバイトも経験しました。
かつて 「アークヒルズ」 の中にあった 「AD コロシアム」 というフレンチベトナミーズのレストラン。 そのアルバイト先でも、 素敵な縁に恵まれました。
音楽雑誌 『FOOL'S MATE (フールズメイト)』 で連載を持っていたライターの方が同じ店でアルバイトをしていて、 ある時写真の勉強をしているという話をしたら 「FOOL’S MATE で写真撮ってみますか ?」 と誘ってくれたんです。 当時、 実はまだ写真についてよくわかっていなかったのですが、 これはやるしかないと思って 「やります !」 と。
学校の先生に 「 1 週間でポートレイトを撮れるようになりたいんです」 と事情を話して、 ライティング等について色々教えてもらいました。 撮影時の機材も先生が貸してくださって。
その時に撮影したのがなんと、 詩人のアレン・ギンズバーグだったんです。 それ以降も何度か声をかけていただいて、 アシッド・ジャズを広めたキーパーソンとして当時注目を集めていたジャイルス・ピーターソンや、 セルジュ・ゲンズブールも撮影させていただきました。
今思うと、 とてもありがたい経験をさせていただいたなと。
広尾に住んだ期間は 1 年程です。 仕送りに頼らずに生活したいと思うようになって、 広尾は身の丈に合わなすぎたんですね。 たった 1 年。 でも、 とても濃厚な日々でした。
子どもから大人になっていく最初の 1 年を過ごした街であり、 自立心を育んだ街であり……。 はじめて親元から離れて暮らしたことで、 親に対しての気持ちにも変化が生まれました。
そして何より、 声が小さいことをはじめ様々なコンプレックスを抱えていた私が 「自分自身のままでいいんだ」 と思えたこと。 自分の好きなことを極めようと努力することで、 気持ちが満たされるという経験ができたこと。
自らの選択ではありませんでしたが、 結果として広尾は私を大きく成長させてくれる街になりました。
2025年の春、 それまで暮らしていたアメリカから 13 年ぶりに東京に戻ってきました。
久しぶりの東京生活で改めて感じるのは、 今も昔も変わらず好奇心を刺激してくれて、 ありのままの自分を受け止めてくれる包容力を持った街であるということです。
帰国する前はペンシルベニア州のランカスターという自然豊かな田舎町で暮らしていたので、 東京に戻ってきてからも "自然の移り変わりを感じたい" と思うようになりました。 それは以前と比べて大きな変化ですね。 立川の 「昭和記念公園」 など、 自然を身近に感じられる場所に足を運ぶことが増えました。
計算してみたら私、 生まれてから今まで国内外含め 25 回も引っ越ししているんです。
ずっと旅ばかりしているような人生なのですが、 東京は離れても必ず戻ってくる場所というか……自分にとって 「駅」 のような存在だなと感じています。
Profile
カヒミ カリィ Kahimi Karie
1968 年生まれ。 ミュージシャン、 文筆家、 フォトグラファー。 1991 年のデビュー以降、 国内外問わず数々の作品を発表。 音楽活動の他、 映画作品へのコメント執筆、 字幕監修、 翻訳など幅広く活躍する。 フランスで約 8 年、 アメリカで約 13 年暮らし2025 年春に日本へ帰国。 『暮しの手帖 Web』 にて 「恋しいキッチン 〜 私の台所放浪記〜」 を連載中。
Instagram: @kahimikarie_official
東京と私