TOKYO AND ME

東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。

写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)


Vol.63 カニササレアヤコ (芸人) 

 

PLACE : 氷川台 (練馬区)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sounds of Tokyo 63. ( Weekend at Johoku Central Park )


氷川台に来たのは、 5年振りくらいでしょうか。
親元を離れてから最初に暮らした街であり、 私が唯一暮らした "東京の街" であり、 そして今の自分に至るための種をまく時期を過ごした思い出の街です。

生まれは埼玉県ですが4歳の時に神奈川県の藤沢に引っ越して、 大学を卒業するまで実家で暮らしました。
三人きょうだいの末っ子で好奇心旺盛、 気になったことは "やってみたい、 体験してみたい" という気持ちがとりわけ強い子どもでした。
4歳の時にはじめたピアノ、 アルトサックスやバイオリン、 そして和楽器の 「篳篥 (ひちりき) 」 を趣味で演奏していた母と雅楽を聴きに行ったことをきっかけに興味を持った 「笙 (しょう) 」 など、 色々な楽器に触れてきました。
両親が私の好奇心を後押ししてくれたことで、 今の自分があります。

思えば、 お笑いの道を目指すきっかけのひとつも父でした。
中学生の時からお笑いが好きで友人と一緒に文化祭で漫才をしたりしていたのですが、 ある日父が 「中学生向けのお笑いの大会があるみたいだよ」 とチラシを見せてくれたんです。
その大会に出場し、 高校では 「お笑い研究会」 を立ち上げ、 有名なお笑いサークルがある早稲田大学へ進学しました。
現在はお笑い芸人としての活動、 そしてエンジニアの仕事と並行して、 雅楽を学ぶために 「東京藝術大学」 に通っています。

親元を離れて氷川台で暮らしはじめたのは22歳の時。
藤沢と東京は距離も離れていないですし、 都内の大学に通っていたこともあり上京という感覚は全くありませんでした。

氷川台を選んだ理由はいくつかありましたが、 一つは新宿・渋谷・池袋などさまざまな街へのアクセスがいいこと。 それから、 近所に 「武蔵野音楽大学」 がある関係で楽器可の物件が多かったということ。 アップライトピアノを家に置きたかったので、 私にとっては大切な条件でした。
最終的に選んだのは、 築60年、 家賃は6万ちょっとという、 かなりリーズナブルなマンション。 もちろん、 ネズミが出ました (笑)。

氷川台での暮らしは、 学生時代から付き合っていた元夫との同棲というかたちでスタートしました。
親元を離れて暮らすこと、 会社員として働くこと、 そして家族以外の人と暮らすこと。 はじめてのことだらけの新生活は、 朝起きて会社に行って定時に会社を出て雀荘で麻雀を打って帰る、 というのがルーティンで、 家にいる時間は長くありませんでした。

そういうわけで平日はあまり街と触れ合う時間は無かったのですが、 仕事のない週末はよく家の近所を散歩しました。
家の近くを流れる石神井川沿いを歩いて 「城北中央公園」 まで行くコースが定番。 本当にここは東京なのかと思うような、 自然豊かで田舎っぽい感じがすごく落ちついて好きでしたね。

川を挟んで反対方面の江古田駅周辺にもよく足を運びました。
こちらは一転して庶民的で賑やかな雰囲気。 小さな個人商店や結構尖った感じの個性的な店が多くて、 もともと雑貨や古着が好きな自分としてはとても居心地が良かったです。
特に好きだったのは、 雑貨屋の 「OiLife」 や 「ガラクタや ネバーランド」、 名前は忘れてしまったのですがとにかく安すぎる八百屋。 それから……江古田駅のすぐ近くにあるミュージックバー 「ringrazio」。 店内にピアノが置いてあったので、 ピアノが好きな芸人仲間と一緒に時々飲みに行っていました。

氷川台で暮らしたのは、 22歳から27歳までの約5年間。
洗濯や掃除、 料理といった生活にまつわる基本的なことに始まり、 まさに "自分の生活" をつくっていった日々だったと思います。
結婚に転職、 そして 「R-1グランプリ」 に出場して笙を使ったネタで決勝進出もしました。

なんとも濃い5年間でしたが、 今思えば、 "自分が本当に好きなもの" を見極めた時間でもあったのかもしれませんね。
就職するタイミングで一旦はお休みしたお笑いを社会人2年目の時に再開し、 お笑いをやりつつも 「やっぱり音楽も好きだな」 と思って You Tube に自分の演奏をアップしてみたり。
小さな頃からずっとそうでしたが、 やりたいことが出来たらまずはやってみる性分なんです。
そうすることで残るものもあれば、 振るい落とされたものもある。 とにかく色々なことに挑戦をして、 自分の土台をつくった日々でした。

お笑い芸人として笙を用いた活動を続ける中で、 古典雅楽を一度しっかり学びたいと思うようになり、 氷川台を離れてから1年後、 「東京藝術大学」 に入学しました。

新たに学生という肩書が加わったことで二足の草鞋ならぬ "三足の草鞋" 状態になりましたが、 それも自分らしいといいますか、 ある種の強みだと思っています。
お笑い芸人として活動すること、 長い歴史を持つ雅楽という文化を学ぶこと、 その対極ともいえる最先端のIT技術に触れるエンジニアという仕事を続けること。 一見するとバラバラに感じるかもしれませんが、 それぞれの世界に身を置くことに大きな意味を感じています。

学生生活も今年で4年目。
そして 「会社員として働きながらお笑いも続ける」 という道を選んでから、 もうすぐ10年。
この街で過ごした日々にまいた種が根を張って幹となり、 今は進むべき道がだいぶ定まってきた感覚があります。
いつか海外で、 雅楽の素晴らしさ、 そして笙という楽器を伝える取り組みができたらいいなと考えています。


Profile
カニササレアヤコ Kanisasareayako


1994年、 神奈川県生まれ。 早稲田大学卒業後、 ロボットエンジニアとして就職するもお笑いの道へ。 平安装束をまとい 「笙」 を使ったネタで 『R-1ぐらんぷり2018』 決勝に進出。 現在もエンジニア職を続けつつ、 サンミュージックプロダクションに所属し 「雅楽芸人」として活動している。 2022年4月には東京藝術大学音楽学部邦楽科雅楽専攻に進学。

Instagram@kanisasare_ayako

東京と私