
TOKYO AND ME
東京で暮らす人、 東京を旅する人。
それぞれにとって極めて個人的な東京の風景を、 写真家・ホンマタカシが切り取る。
写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子 (CLASKA)
Sounds of Tokyo 62. ( "AFRO" playing the piano. )
大学進学を機に地元・愛知から越してきた東京は、 消費の時代の真っ只中でした。
とにかく、 誰も彼も "欲しい・買いたい" 欲が凄かった。
今となっては信じられませんが、 「東京にしかないもの」 が沢山あった時代です。 華やかでキラキラしたバブル時代の東京を体感しながら大学時代を過ごし、 卒業後は新聞社に就職しました。
入社後すぐの地方配属にはじまり、 主に関西を拠点に様々な土地で新聞記者としてがむしゃらに働く日々。
当時はお給料が毎年上がっていくのが当たり前で、 会社の中での地位や記者という肩書、 そしてお金やものを所有することに対して絶対的な価値を感じながら日々生活していたように思います。
そんな中、 2011年の東日本大震災による原発事故を機に節電生活をはじめたことで、 大きな転機が訪れました。
掃除機にはじまり、 電子レンジにテレビ、 洗濯機。
当然あるものとして頼っていた家電製品を少しずつ手放してみたら意外にも平気で、 無いなら無いなりに工夫する生活がものすごく楽しかったんです。
自分にとっての "当たり前" を見直していく中で、 「会社と給料を手放してみよう」 という考えに行きつきました。
会社を早期退職したのは50歳の時です。 当時50歳で辞める人なんていなかったので、 皆に散々脅かされました。
まずは定収入が無くなるというお金の問題。 そして 「新聞記者」 という肩書が無くなるということ。
退職後、 支出を減らすため新たな住まいとして選んだのは中目黒にある築50年の小さなワンルームマンションでした。
先ほどお話した通り我が家には必要最低限の家電しかありませんし、 今はガス契約も辞めてしまいました。 収納スペースもゼロ、 当然書斎なんてありません。
自分の家に何も無いならば外に目を向けて、 「街全体が大きな我が家である」 という風に捉えてみようと思いました。
近所のスーパーや個人商店が自分の冷蔵庫と思えば、 食材は常に新鮮です。 銭湯に足を運べば大きなお風呂にゆっくり入ることができる。
そのような感じで "書斎が無いなら、 外で仕事すればいい" と家の近所を散策していた時、 偶然発見したのが 「Under the mat」 でした。
最初に訪れてから10年経った今も変わらず "我が家の書斎" として生活の一部になっている大切な場所です。
午前と午後それぞれ3時間は仕事をするのが日課で、 午前中は別のカフェ、 午後は Under the mat に行くという流れが定番。
仕事をさせていただきつつ、 通いはじめた当初は久しぶりに再開したピアノの練習をさせていただいたりもしました。
もともと社交的な性格だったかというと実はそうでもなくて、 会社の外の人間関係はあまり無かったほうだと思います。
そんな自分が、 気がつけば店のご主人や常連さんたちと少しずつ言葉を交わすようになり、 一緒に忘年会をしたり、 とある常連さんの地元へご主人も含めた老若男女数人で小旅行へ出かけたりするようになっていました。
その背景にはご主人の良き人柄があって、 私もすごく影響を受けています。
店内は "もの" で溢れているのですが、 その多くはご主人が街で捨てられていたものを拾ってきたり、 常連のお客さんがお店に持ち込んだものです。
それら一つひとつに自分なりの美を見出して、 磨いたり、 ひと手間かけたりしながらこの空間に収まるように整えていく。 一度足を運んでいただくとわかると思うのですが、 実に愛に溢れた素敵な空間なんです。
美しいものを手に入れるために必要なのは沢山のお金ではなく、 「ものを愛でる」 「良いところを見つける」 といった気持ちなのだということを、 ご主人の姿勢から学ばせていただきました。 それは人間関係でもきっと同じことですよね。
Under the mat との出会いをきっかけに、 組織から離れて一人ぼっちになったとしても人間関係をちゃんとつくっていけるということを学んだ結果、 近所のあちこちで同じような 「拠点」 をつくることができました。
居酒屋、 街中華、 バー、 銭湯、 米屋に酒屋……。
今私は一人暮らしではありますが、 たくさんの家族に囲まれて暮らしている実感があります。
近所の方がご飯をお裾分けしてくださったり、 銭湯で知り合った人から 「これ、 余ってるからいらない?」 と声をかけてもらったり。
なんというか、 この広い東京で "鉱脈" を掘り当てた感があるんですよね。
「街」 という大きな家の中で生活をしていく上で大切にしているのは、 親切心を忘れず周りに気を遣うということ。 自分ファーストではなく、 どうしたら人に喜んでもらえるかということをまず最初に考えること。
時に助けたり助けられたり……自分の態度と行動次第で自然と良い人間関係が構築されていく。 これも、 Under the mat を通して学んだことです。
会社を辞める時、 「肩書が無いと人脈が……」 と散々脅かされましたけど、 無くなるどころか記者時代には会えなかったであろう沢山の人達と知り合うことができて。
多分、 近所の顔見知りは100人以上いるんじゃないかな(笑)。
東京の何が一番素晴らしいかって、 おしゃれな店があるとか何でも売っているとかそういうことではなくて、 「いろんな人がいる」 ことなんじゃないでしょうか。
多種多様な人と繋がって生きることで自分が鍛えられ、 つまらない自我がどんどん溶けていく。
幸せに生きていくための術を、 東京という街から教えてもらっています。
Profile
稲垣えみ子 Emiko Inagaki
1965年生まれ。 元朝日新聞記者。 福島原発事故後にはじめた 「超節電生活」 と50歳での早期退職を機に都内の築50年のワンルームマンションで 「夫なし、 子なし、 冷蔵庫なし、 ガス契約なし」 の楽しく閉じていく人生を模索中。 著書に 『一人飲みで生きていく』 (朝日出版社)、 『老後とピアノ』 (ポプラ社)、 『家事か地獄か』 (マガジンハウス)、 最新共著として 『シン・ファイヤー』 (百万年書房)。 雑誌 『AERA』 (朝日新聞出版) にてコラム 「アフロ画報」 連載中。
Instagram: @inagakiem
東京と私